7.易経の術語

吉凶悔吝咎なし

吉凶悔吝咎なしの図易経の辞には、吉・凶・悔・吝・咎なしという言葉が出てきます。

「吉」は良し。

「凶」は悪い。

「悔」は後悔することになる。

「吝」は吝嗇、改めることを厭がり行きづまる。

「悔」「吝」は進むべき道から外れるきっかけとなるごくわずかな傷であり、吉凶禍福の兆しです。

「悔」は吉→福(幸い)の兆し。

「吝」は凶→禍(災い)の兆し。

「悔」は後悔することで本文には「悔いあり」、「悔いなし」と記されます。

「吝」は失敗や過ちに気づいても、改めることをケチって惜しむこと。「吝なり」と記されます。

「咎なし」は咎めがあるようなことがあるが、咎めは受けない。禍をあやうく回避できるということです。

吉凶悔吝咎なしの図

この「吉・凶・悔・吝」は人の心と行動のめぐりをあらわしています。

凶→悔→吉→吝→凶→悔→吉

「凶」~ 失敗して気付き、

「悔」~ 気付いて後悔し、過ちを改めれば吉になる。

「吉」~ 吉になると人はつい油断して、楽しみを貪るようになる。

「吝」~ 知らず知らずのうちに奢りが出て、注意信号が点滅しても侮り、 過ちを改めるのを惜しみ、ぐずぐずとしている内に悪い方向へ向かい、凶となる。

「凶」~ 凶になって初めて悔い改める。

という巡りです。

九と六

爻辞のはじめに初六、九二、六三という爻の順と九か六の組み合わせが記されています。

九は陽、六は陰という意味です。初六は初爻が陰爻、九二は二爻が陽爻であることをしめしています。

時義・時用・時中

「時義」はその卦の時の意義。

「時用」は苦しい時、困難な時をあらわす卦に記されます。あまり用いたくない時をあえて用いるという意味です。

「時中」は中庸と同じ意味で、「時に中る」時の本質、中心を鋭く射抜くことをいいます。「時中」は、易経の教えの真髄といえます。